完全に日記。

車、ライトノベル、DTM。

自分史:趣味の音楽制作について振り返る4

前回記事の続き。高校時代から社会人になって以降の話までいっきにまとめて、完結編というか。

 

友人との音楽ユニット活動がフェードアウトして以降は、形式が打ち込み音楽という点は変わらずだったものの、単独での片手間音楽活動の時期が続いた。

高校卒業後~就職まで何をやっていたのかあまり記憶に残っていないが、たしか前述とは別の友人が作成していたRPGツクール作品のBGMを担当していたことだけは覚えている。PC98内蔵のFM音源(4OPで3音ポリしか出せなかった方のやつ)で頑張って打ち込んでいたわけだが、これくらい制約がある方が割り切って作れるので、曲の生産スピードが増したような。

他にはRolandのSoundCanvasシリーズをSC-88SC-88proSC-8850と順調にバージョンアップしていったり追加音源としてKORGのM3Rを導入したりと、無邪気に音源を買い足す方向で制作環境の増強を図っていった。

ユニットの方の友人は懐かしきカセットテープ式の4トラックMTRを所有していたが、当時の私は録音だとかソフトウェアの方にまだ無頓着な人間だったようで、作った曲はミックスも何もなく、ただ普通にカセットテープに録音していただけだった。

 

社会人になって以降は、仕事で時間が取れなくても音楽制作に少しでも関わっていきたいという気持ちがあったからか、スタンスに変化が起きた。

この頃は同人業界の1ジャンルとして同人音楽が流行し始めていて、たしか葉鍵系ブームと当時のインターネット音楽事情(JASRAC騒動以前のMIDI配布時代だとかGS/GMだとかGMLことゲーム音楽図書館だとか……)も相まって、ネットという漆黒の黒き闇の翼を得て勢い余った私も同人アレンジ音楽CDに首を突っこんでいた。

知人のアルバム2枚くらいに参加して、KEY作品のアレンジ曲やオリジナル曲を引っさげてコミケやM3にも参加し、ほどなくして消えていったのだった。

あれは黒歴史と見なすほど悲しい記憶でもなかったので、権利問題的に公開してまずくなさそうな当時の曲のリンクを貼っておく。作編曲や録音が酷いとか以前に22年前のmp3という現実が、今になって自分の息の根を止めに来た。

🎧"Spindle" - 2002

 

🎧"たとえば" - 2002

 

 

この頃はまだハードウェア音源を使用していて、録音環境もHDMTR(確かKORGのD16)だった。ミックス知識がないまま適当な録音していて(コンプやEQとは何ぞや?? 周波数の概念が理解できなかった)、その筋の人に改善点を指摘された覚えがある。あと後半で飽きて、作編曲が雑になる悪い癖はこの頃からのものだった。

 

同人アレンジ音楽に飽きた後は、ヴォーカルの人と歌ものをやってみたり、同人ゲームや同人ドラマなんかのBGMに関わってみたりした。

で、このあたりで呆気なく自分の限界にぶち当たっていた。

要約すれば「曲が浮かんでこない」「テクノロジーに付いていけない」「相手の指定したスケジュールを守れない」。

書いてみて3つ目が一番酷いと思った。ネットを得て誰かとの協業が昔より容易になった一方で、協業相手の要求に応えられないことをようやく自覚できたのである。

そいつの言い訳を挙げれば、仕事が忙しくて趣味に時間が割けなかったからとか、結婚して生活に必死で……みたいなありきたりなことばかりだったわけだが。

テクノロジーに付いていけないというのも悲しい話で、ちょうどこの時代はDAWがようやくポピュラーになってきた時代だった。で、私も碌に使いこなせていなかったHDMTRから一転してSteinbergCubase SX2を初導入してみたものの、環境構築やらも含めて使いこなせない度が高まるばかり。音を出すだけでも一苦労で、何も生み出せない暗黒時代の到来だった。

でも思えばこの頃って、まだまだVOCALOIDブーム以前だったのだよな。

 

まあそんな感じで、2000年代あたりで音楽制作を止めてしまった。

それから2007年にVOCALOID2初音ミクニコニコ動画で話題になるまでは、完全にDTMも音楽制作からも離れてしまっていた。ボカロブーム以降も、きっかけとして食指も動いたからDTMに復帰してみようかなという気になっただけで、結局まともに1曲も作り上げられなかった。自分が買ったのは鏡音リン/レンだったけれど。

🎧"【鏡音リン】さよならハイパーソニック(demo)" - 2008

 

 

先日ストレージ整理をしていたところ、自分が一番最後に残したmp3が発掘された。確か同人ノベルゲームのBGM用途で発注された曲で、先方から「学園の日常シーンで、曲調はエレクトロニカ風で」みたいな強い要求があり、自分の手に余って迷走してしまっていた記憶が今ごろになって蘇ってきた。

🎧"未完成曲:学園の日常シーンで、曲調はエレクトロニカ風、とは……" - 2010

 

 

ファイルのプロパティを確認したところ2010年作だった。ここで私は一度、趣味の音楽制作を諦めてしまったわけだ。

 

 

ならば、あれから14年が過ぎ去ったということだ。

音楽の趣味自体の拘りが希薄になってきて、腰を据えてリスニングする機会が減っていた。

ボカロのシーンを追っていたのもニコ生やら歌い手やらが登場する以前までで、それ以降のムーブメントはよくわからない。

ただ、つい先日、Steibergのセールを機にCubaseを13proにアップデートした。ついでに死蔵していたHALion3も7に上げた。オーディオインターフェースは何故かRMEBabyface Proが置いてある。何ならNIのKOMPLETEも古いバージョンながら死蔵されている。

老後の趣味にDTMもいいかなと思ったからだった。

とはいえ退職までまだ20年近くはありそうだから、他の趣味に一区切り付いた段階でリハビリテーションを開始したいと考えている。

車遍歴:トヨタ・スープラ(DB06/RZ/MT)1年目

トヨタスープラの最初の12ヶ月点検を終えた。

そう言えば同車種同グレードの個人レビュー記事を見かけた記憶がなかったので、ちょうどいい機会だから記録しておこうと思い立った。

 

まず購入経緯について触れておく。

通勤に使用していた前車(VAB)がそれなりの走行距離になり、乗り換え対象は絶対に日産の新型フェアレディZ(RZ34)と心の中で決めていた。というのも過去にZ34を所有していたことがあり、2シータークーペの特別感をもう一度味わいたくなったためだ。

そうして日産の公式発表前から一年近くRZ34を追い続けてきたものの、特別仕様車であるプロトエディションの抽選に見事落選してしまった。それならばとSTで見積もりを取ったのだが、担当営業氏から返ってきたのは「納期未定ですが、3年待ちは覚悟して下さい」「ついに受注停止になりましたのでもう注文できません」との絶望的なお言葉。

 

入手できたのは結局カタログだけだった新型フェアレディZ

 

奇しくも同時期にトヨタスープラRZにMTをグレード追加するとのニュースを見かけていたので調子に乗ってRZ34の当て馬にしていたのだが、様々な条件が重なって、こちらを注文する結末に至ったわけである。

余談だが、現行型も含めたスープラの歴代モデルにはZほど興味がなくて、一方で過去にBMWのM240iのMTがすごくほしかった時期があったから、まあこいつでも悪くはないか……という消極的な選択だった。ちなみに私は重度のMT厨である。ペダルが3つないとさみしくて鳴いてしまう蛮族だ。

 

DB06スープラRZ

 

パースによっては不細工に見えがちな造型

 

今の時代シフトノブとクラッチペダルが付いているだけでも有り難い

 

リアビューはあまり好みではなかった

 

サイドビューから見た特にフロント部分の造型がキモカワイイ気がする

 

好きかはさておき、80スープラの面影があるヘッドライトのレンズ造型

 

新色ボルカニックアッシュグレーメタリックは青灰色にハイライトの赤銅色が面白い

 

ついでのインプレッション的なやつとか

せっかくなので、ネットであまり見かけない視点も含めて列記しておこう。

自分の好みに合っていた点
  • 車内の音響演出も含め、エンジン音・排気音に快楽を覚える趣向のセッティング。そういうチューニング意図なのか、エンジンはよく回るのに総体的に重ったるいドライブフィールで、日常使用の範疇ではパワーを持てあましている感が希薄。もっと回転数を上げたい気分にはなるものの、スピード自体は出さなくても別に気持ちいいからいいやと納得させてくれる不思議なバランス感が良い。
  • 重たい車体前半からは意外に感じる回頭性の良さ。これはAWD暦が長かった影響もあるけど、単にこの車自体の味つけが重ったるいだけなのと、FRでも設計年度が新しめのシャシーだから余計そう感じたのかも。
  • 車自体が悲鳴を上げる(比喩表現/エンジンルームやトランスミッションからの不快音やロードノイズ、風切り音など)シチュエーションがあまりなく、不快感が少ない。純粋なスポーツカーよりもラグジュアリークーペやグランドツーリングカー寄りの方が有り難みを覚える年頃なので……。

 

×イマイチな点
  • 住み心地が悪い。特にMTグレードに関しては完全に後付けと思われ、開発側の苦労はうかがえるものの、ドライビングポジションが破綻気味。シフトノブに左手を伸ばすもあるべき位置にあるべきものがなく、エアコンやETC車載器を殴ってしまいがち。そして右寄りにオフセットしたペダル配置。フットレストに置いた左脚とオルガン式のアクセルペダルに置いた右脚の位置関係からどうにもチグハグな姿勢になり、なんとなく居心地が悪い。シート自体は悪くないのだが。なお小柄な人は危険を感じるレベルで乗りづらいとのネット情報も。
  • たったの52リットルしか入らない燃料タンク容量。遠出したくなる車種なのに短距離選手寄り。燃費は3.0ターボにしては9km/lくらい出るのだが。
  • アクセル&ブレーキペダル比で、クラッチペダルだけ何故か剛性感がないというか取付が緩く、ぐにゃぐにゃした踏み心地。これもなんとなく後付け感を覚えてしまう要因だ。踏力は個人的に適切と感じたが(Z34やVABと比較すれば軽め)、自動車評論家でも「重すぎて疲れる」との評も見かけた。

 

住み心地に関しては、あくまでZ34と比較してのもの。あの車は標準でニーパッドが装着されており、足もとも広々としていて、肩や肘が内装と接触しないようにドライバーの可動範囲が考慮されていた記憶がある。背が低い車種なりによく考えられた車内空間だったわけだ。

なお私はスポーツ走行やサーキット走行をする種の人間ではないため、あくまで日常使用でのインプレッションとご理解いただきたい。

 

落とし穴トラップ(カップホルダー)に肘がはまってしまうのでGRのアクセサリー蓋を装着

 

ボンネットフード長……(意外と小柄で小回りはきくがノーズの長さのせいで取り回しは微妙)。

 

中央部がくの字に折れたドアパネルの線がフロントフェンダーに向かう当たりの造型が一番好きポイント

 

さて、年々廃止されていくMT車種と迫りくる電動化時代の波もあって、(結局RZ34は手に入らなかったものの)「今こいつを保存せねばこの先6気筒MTなんぞ新車で手に入らない時代が到来するのでは」と先走ったのが今回なわけだが、一年乗ってみて実は「ここまで過剰な車はもういいかな」「(普段使いしている)トゥインゴ3の方が運転楽しいかな」「ロドスタかGR86でも良かったのでは」という後ろ向きな感想が時折沸き上がってきたりもしていた。

何にせよ、運転するにも保管するにも気を使いすぎている側面があって、一年所有してみて疲れてきたのかもしれない。

自分史:趣味の音楽制作について振り返る3

前回記事の続き。高校時代の記憶を掘り起こしてみる。

高校に進学できたものの、遊んでいたせいで第一志望校に落ちてしまい、前回記事にて登場した音楽仲間の友人とは別々の学校に通う展開になった。

……と言っても彼との交流は続き、音楽制作活動も次第にステップアップしていった。

 

友人は進学祝いに、YAMAHAのマルチティンバーシンセサイザー、EOS B500を手に入れていた。当時話題だったTMN小室哲哉モデルで、シーケンサー入りで1台完結できる入門機種だ。自分も欲しくて、すごく羨ましかったことを記憶している。

対して私だが、音楽活動に関して親から理解が得られなかった関係で、欲しかったシンセ購入計画は却下されてしまった。相変わらずの〝お前はパソコンを勉強してプログラマーになれ〟という親の独裁的方針に縛られ、シンセの代わりに進学祝いとして手に入れたのはNECのPC-9801DSとROLANDのミュージ郎Jr.だった。親と揉めた挙げ句の落とし所ではあったが、それでも総額を考えれば(当時バブル期だったとはいえ)私は滅茶苦茶恵まれた子どもだったのは否定できない。

 

 

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で、問題のミュージ郎Jr.である。DTMバンドル製品の先がけとなったミュージ郎シリーズの中でも一番しょぼい音源CM-32Lが同梱されたこの製品では、当時でも自分の目指す音楽が作れる気がしなかった。ゲーム音楽FM音源系のクールな音色や、浅倉大介系の打ち込み音楽が好みの傾向にあった。だからか低価格モデルのLA音源にありがちなファニーすぎる音色群では、何一つノリ切れなかった。友人のクールでカッコいいB500が心底羨ましかったのだ。DASS音源最高。

 

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まあそんなわけでDTM環境を得た私は、作曲や編曲を猛勉強……する性分ではなかったので、とにかく我流で曲を打ち込んでいった。中学時代に入手済みのPSS-790をMIDI接続することで、CM-32Lをシンセ的に演奏できたのが救いだった。

このころでも楽譜は読めたがコード理論が全く理解できず(する気がなく)、ただ気持ちよく感じる音階を弾いて重ねていけば曲なんて出来るじゃん手法で、友人と競い合い、曲は完成したりしなかったりした。

 

やがて転機が訪れた。1991年に登場したROLANDのSound Canvas SC-55を安価に入手できたことで、音源の質的なモチベーションがかなり向上したためだ。

 

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LA音源では得られなかった生々しいサンプリングサウンドもようやく自分の手に。

ROLAND系の明るくキラキラした傾向は相変わらずで自分の嗜好から外れてはいたけれど、この価格帯で得られるクオリティのサウンドでなく、画期的な一台だった

 

SC-55を武器に、YAMAHA主催のコンテストにカセットテープで曲を投稿した。1分にも満たない程度のCMソング的な曲だったものの、五段階評価でBを得られたのが嬉しかった。

さらには友人とともに二人組の音楽ユニットを結成して、TEENS' MUSIC FESTIVALに参加した。

これに関しては地元の楽器店大会で呆気なく敗退したものの、大会後に音源を聴いた主催者のYAMAHA側から要請があり、愛知県千種区にあったYAMAHAのビルに招待された。

担当者曰く「高校生にしてはそれなりの曲を作っているのでYAMAHAとして今後サポートしていきたい」とのことで、なんと本物のレコーディングスタジオでレコーディングしてもらえる展開になったのである。

まさに「まさかのプロデビューへの道筋か?!」的急展開だったが、この話にはちゃんとオチが付いた。

YAMAHA所属のエンジニアにレコーディングしてもらった自分達の曲が、自分達の想い描く路線から大きくかけ離れていて、強く落胆させられたのが一つ。さらにはヴォーカルを担当した友人に対して「いま一歩二歩三歩」なる厳しい評価がレコーディング現場にて下され、友人自身がYAMAHAとの次の機会を棒に振ってしまったからである。

 

そんな結末を経て、高校時代の音楽活動はフェードアウトしていった。音楽ユニット自体も、友人が占めるウェイトの方が大きかった点もある。

私の音楽制作も次第に個人活動へと立ち戻っていき、プロ化の夢などこれ以降考えることはなくなってしまったのだった。

 

次回へ続く。

Lenovo Legion GoのメインPC化

LenovoのゲーミングUMPC、Legion Goを昨年の発売時に入手した。

昔から小型PC愛好家だったのと、Steam DeckやROG AllyなんかのゲーミングUMPCブームに注目していたこと、そして何より一度Steamのゲームをやってみたかったのもあって、勢い余って購入してしまった(今の生活ではゲームを遊ぶ時間なんて捻出できそうにないのに)。

 

Lenovo Legion Go

 

機種選定の理由は、他機種より画面サイズが大きい、USB4端子を2つ搭載、頑強なキックスタンド搭載、そしてコントローラー部が着脱可能な点(ゲーム以外でも有効利用できれば失敗しても言い訳になるのでは的な)だ。動画や電子書籍用の端末としてもたまに利用したくなる、絶妙バランスの大きさと重さ。確かに重く分厚いけれど。

逆にネガティブ要素だったポートレート液晶、大柄なサイズと重量感、ストレージ不足に関しては、自分の使用環境では影響なかった。

 

で、想定外なことにLegion Goでベンチマークを走らせてみれば、自分のメインPC(5年くらい前に購入したDellのディスプレイ一体型機)をやや上回る成績を弾き出すではないか。

私は自室に籠もって作業する機会が限られる生活スタイルのため、例えば高スペックなタワー型PCを導入したところで、そいつを運用できるタイミングなど週に10時間にも満たない実状がある。

であれば以前から検討中だったメインPCのリプレースを諦め、このLegion GoをメインPC兼用に置き換えた方が効率的ではないかと思いつき、今回の話題に行き着いた経緯である。

 

 

さて、Legion GoはあくまでUMPC基準のスペックにすぎないため、潰せるネガは潰しておく必要があった。

まず内蔵SSDを512GB→2TBに換装。こいつはM.2ではマイナーな2242規格なので、2230規格のWD Blackに2242化のアダプターを噛ませる方式で換装した。なおWDだとCドライブのクローン作成にAcronis True Image WD Editionが無償利用できるのが楽だったのもある。

 

換装風景

次に、ドッキングステーションの導入だ。

Legion GoのUSB4が活用できるドックを探してみたところ、Sonnet TechnologiesのEcho 20 Thunderbolt 4 Superdockに行き着いた。

tacsystem.jp

 

こいつはMac向けのTB4製品っぽいが、USB4でも使用可能らしく、HDMI2.1ポートに2.5Gイーサネットまで付いていて、おまけにM.2のSSDまで内蔵可能だという。

値付けも相応のものだが、他に選択の余地がなかった。

 

Legion GoとEcho 20 Thunderbolt 4 SuperDock

 

 

そんなわけでLegion GoのメインPC化、ひとまずの完成である。

 

完成風景

 

Echo 20のHDMIポートからの4K映像出力は問題なく、数値上は本体と同値のリフレッシュレート144Hzとなっている。

Officeやブラウザレベルのアプリケーション動作、USB経由の周辺機器接続や自宅内LAN、オーディオインターフェース(RME Babyface Pro)との接続も順調だ。

今のところ気がかりな点は、静音モードだと希に動画やファイル操作がカクつく、動画視聴中ごく希に画面がブラックアウトする(原因不明)、使用メモリーが16GB上限に達してしまう場面が割とある、などだ。

 

今後はDAWをインストールしてみて、使用感を確かめていきたい。

何だかんだでLegion Goが使いものにならずメインPCを買い直してしまう未来も予見しているが、さてどうなることやら。

ライトノベル新人賞投稿活動の話

たしか2012年あたりに突如小説に目覚めて、それからライトノベル系の新人賞に投稿してきた。ただ2012年の時点で充分におっさんだったので、物書き修行をするにしても時すでに遅し、十五年は早くスタートしておきたかったと後悔したが。

 

「一次創作の表現手法のなかで自分の生活スタイルに一番合っていたから」とか、そんな理由でライトノベルを書きはじめた記憶がある。

実のところ作家志望――所謂ラノベワナビの意識はなく、ただ小説の公募に自作を送って結果を得ることでしか承認欲求が得られない、ネットにいるご同業の中では少々風変わりなタイプが私だった。だからなのか、自作をネットで公開して読者の反応を得ることでは承認欲求を得られなくて、小説家になろうカクヨムなどの投稿サイトではなく公募活動でしか満たされることはなかった。

作家になりたい願望も意欲もゼロだったことが、結果的にマイナスに働いた面もあったように思う。熱意とかモチベーションとかハングリー精神的な要素は、おそらく今の倍くらいはあってはじめて成立する分野だったのだろうな。

 

そんな感じで書き上げた長編小説は9作。話の流れ的にタイトルを晒すが、『キズナヴラッド』で電撃大賞の3次選考落選、『とおき異産のリリカナクラウン』でGA文庫大賞の3次選考落選がこれまでの最高成績だった。

ただここ2年は1作も書けていない。書けないわけでも諦めたのでもなく、自分が勝機を見出しているストックネタにリテイクを繰りかえす悪循環に陥っていることが原因だ。こうして立ち止まっている間に、並行して別のネタで1作や2作書き上げるくらいのスケジューリングを職場でならやれるのに、趣味活動だとどうしてもグダグダになりがち問題。

 

私もこういう活動を続けるのは客観的に見て無理な年齢なので、前述のネタを「最後で最高の1作」にでもしてしまいたいとぼんやり考えてきた。

2020年代に入ったあたりからラノベへの執着が薄れた問題もある。かと言って一般小説に関心がシフトしたわけでもなく、物語の創作自体は相変わらず自分の根っこにあるものだけれど、一方で活字媒体そのものが(様々な事情で)楽しめなくなってきているのが悲しい。

 

当ブログの別記事で書いた音楽活動を、何十年後かの老後に向けた細々趣味として復活させたい気持ちが急浮上してきているせいもある。

いずれにしろ公募活動ともどこかで折り合いを付けなければ、ただでさえ限られた時間を有効的に楽しめないよね――という戒めの声が胸のうちから聞こえてきたような気もするけれど、まあこれからも私は雑にしょぼいことをなし遂げつつ適当に緩く生きていくのでしょう。

自分史:趣味の音楽制作について振り返る2

前回記事の続き。

 

小学生時代に触れたMSXゲーム音楽がきっかけになって、コンピューターを使えば自分でも音楽を作れることを知った。

さらに中学生になってからの三年間は、自分の音楽制作趣味において大きな変革期となった。

 

強く記憶しているのは、80年代~90年代への移り変わり期のゲーム文化である。

当時はNEC PC-8801mkIISRを中心としたPCゲーム市場の急拡大、家庭用ゲーム機だとSFCへの世代交代、さらに体感ゲーム筐体なども登場したアーケードゲーム全盛期。ハードが先かソフトが先かといった業界の技術発展も後押しとなって、ゲームサウンドも次第に上等なものへ急速進化していく過程を実感できた時代だった。

そうして身近なレコード店にも様々なゲーム音楽のサントラやアレンジ盤のCDが流通。ゲーム音楽のアレンジバージョンを演奏する公式バンド(SEGAS.S.T.BANDKONAMI矩形波倶楽部にTAITOのZUNTATA日本ファルコムJ.D.K.BANDなど)が登場して、コンピューター専門誌の誌面を飾った時代でもあった。

思い返せば、フュージョンプログレッシブロック、メタルにテクノにクラシックまでのごった煮音楽ジャンルだったあれらゲームサントラ群が、自分にとっての音楽嗜好の基礎になったように思う。

そう言えばサウンドの好みから古代祐三米光亮の名を追うようになったのもこのころ。光栄(信長の野望なんかの)を通じて菅野よう子新居昭乃を知ったのはもう数年先の話だったか。

この時期になると薄っぺらい2OPのFM音源にデータ保存がカセットテープ媒体のMSX環境では辛くなってきていて、どうやったらこいつでGALAXY FORCEのチョッパーベースを再現できるのか試行錯誤していたりした。

 

youtu.be

 

そんな思春期のこと。所謂オタク文化を通じて友人となった同級生が、唐突にCASIOのキーボードを購入したというので触らせてもらった。

ゲーム仲間でもあった彼は、特にゲーム音楽に関しても情報交換してきた間柄だ。

キーボードの機種名までは覚えていないが(カシオトーン?)、ピアノやブラス、オルガンなど複数の音色を搭載するだけにとどまらず、鍵盤を叩けばベースやドラムまで鳴らせることに感動した覚えがある。

S.S.T. BANDのAFTER BURNERなんかをCDコンポで流しながら、真似してシンセリードやドラムを演奏したのは楽しかった思い出だ。

 

youtu.be

 

サンプリング音源であらゆる楽器パートをカバーする多数の音色を収録、マルチティンバーにより複数トラックを同時演奏、そしてノートの録音機能とMIDI入出力による機材間の連携。

これさえあれば、自分一人で好きな音を出して、トラックを重ねて、自分のための曲を作ることができる。MSXに代わる自己完結の最高音楽機材。

そう、楽器としてのキーボード(あるいはマルチティンバーのシンセサイザー)が、自分にとっての可能性だとこのタイミングで確信したのだ。

 

その後、初めてのキーボードを親に買わせることに成功した。

YAMAHAのポータサウンドシリーズ、 PSS-790である(本音を言えば同社のSY-55やSY-22がほしかったのだが、そこまでの額を投資してもらえるほど親から理解を得られなかった。しかもまだ中学生だったためバイトすることもできず)。

 

youtu.be

 

PSS-790はベロシティ非対応のミニ鍵盤機ではあったが専用機と同じAWM音源搭載、ピッチベンドホイールにベクターシンセのジョイスティックにドラムパッドまで付いていて、ホビー要素強めながらかなり遊べた機種だった。

こいつはソング機能がリアルタイムレコーディングのみでクォンタイズも当然なかった(演奏派ではなかったのでステップレコーディングが大本命だった)ものの、とにかくそれらしいフレーズが浮かんだら録音しまくった。

カセットテープに自作曲……とまでは到達していないイントロやサビだけのフレーズを滅茶苦茶録音しまくり、暇さえあれば聴きまくっていた。

そういう意味では、音楽趣味にもっともモチベーションが持てていた時期だったのかもしれなかった。

 

そんなこんなの経験を経て、次第に理解していく。

自分は楽器の演奏に快楽を感じるわけではなくて、たくさんの楽器を重ねて一つの楽曲を作り上げることにこそ快楽を感じるのだ。

演奏がうまくなりたいとか、人前でパフォーマンスしたいという衝動は湧いてこなかった。

もっといい機材がほしい。ひたすらいい音色が聴きたい。音を、フレーズを、ただ心地よく重ね合わせたい。

若者のバンドブームのさなかに、DTM宅録に意識が傾いていった。

 

長くなったので、再び次回へと続く。

結婚指輪2

前回記事で切断した結婚指輪に代わる結婚指輪2が完成した。

 

 

オーダーメイドのお店で作ってもらったのだが、普通の新婚夫婦ならあまり選ばない造形の組み合わせなのだとか。

宝飾品の類というか、ファッション全般に疎いので、感覚で決めてしまった。

 

また消防署で切断する結末にならないように、大切に扱おう。