完全に日記。

車、ライトノベル、DTM。

自分史:趣味の音楽制作について振り返る2

前回記事の続き。

 

小学生時代に触れたMSXゲーム音楽がきっかけになって、コンピューターを使えば自分でも音楽を作れることを知った。

さらに中学生になってからの三年間は、自分の音楽制作趣味において大きな変革期となった。

 

強く記憶しているのは、80年代~90年代への移り変わり期のゲーム文化である。

当時はNEC PC-8801mkIISRを中心としたPCゲーム市場の急拡大、家庭用ゲーム機だとSFCへの世代交代、さらに体感ゲーム筐体なども登場したアーケードゲーム全盛期。ハードが先かソフトが先かといった業界の技術発展も後押しとなって、ゲームサウンドも次第に上等なものへ急速進化していく過程を実感できた時代だった。

そうして身近なレコード店にも様々なゲーム音楽のサントラやアレンジ盤のCDが流通。ゲーム音楽のアレンジバージョンを演奏する公式バンド(SEGAS.S.T.BANDKONAMI矩形波倶楽部にTAITOのZUNTATA日本ファルコムJ.D.K.BANDなど)が登場して、コンピューター専門誌の誌面を飾った時代でもあった。

思い返せば、フュージョンプログレッシブロック、メタルにテクノにクラシックまでのごった煮音楽ジャンルだったあれらゲームサントラ群が、自分にとっての音楽嗜好の基礎になったように思う。

そう言えばサウンドの好みから古代祐三米光亮の名を追うようになったのもこのころ。光栄(信長の野望なんかの)を通じて菅野よう子新居昭乃を知ったのはもう数年先の話だったか。

この時期になると薄っぺらい2OPのFM音源にデータ保存がカセットテープ媒体のMSX環境では辛くなってきていて、どうやったらこいつでGALAXY FORCEのチョッパーベースを再現できるのか試行錯誤していたりした。

 

youtu.be

 

そんな思春期のこと。所謂オタク文化を通じて友人となった同級生が、唐突にCASIOのキーボードを購入したというので触らせてもらった。

ゲーム仲間でもあった彼は、特にゲーム音楽に関しても情報交換してきた間柄だ。

キーボードの機種名までは覚えていないが(カシオトーン?)、ピアノやブラス、オルガンなど複数の音色を搭載するだけにとどまらず、鍵盤を叩けばベースやドラムまで鳴らせることに感動した覚えがある。

S.S.T. BANDのAFTER BURNERなんかをCDコンポで流しながら、真似してシンセリードやドラムを演奏したのは楽しかった思い出だ。

 

youtu.be

 

サンプリング音源であらゆる楽器パートをカバーする多数の音色を収録、マルチティンバーにより複数トラックを同時演奏、そしてノートの録音機能とMIDI入出力による機材間の連携。

これさえあれば、自分一人で好きな音を出して、トラックを重ねて、自分のための曲を作ることができる。MSXに代わる自己完結の最高音楽機材。

そう、楽器としてのキーボード(あるいはマルチティンバーのシンセサイザー)が、自分にとっての可能性だとこのタイミングで確信したのだ。

 

その後、初めてのキーボードを親に買わせることに成功した。

YAMAHAのポータサウンドシリーズ、 PSS-790である(本音を言えば同社のSY-55やSY-22がほしかったのだが、そこまでの額を投資してもらえるほど親から理解を得られなかった。しかもまだ中学生だったためバイトすることもできず)。

 

youtu.be

 

PSS-790はベロシティ非対応のミニ鍵盤機ではあったが専用機と同じAWM音源搭載、ピッチベンドホイールにベクターシンセのジョイスティックにドラムパッドまで付いていて、ホビー要素強めながらかなり遊べた機種だった。

こいつはソング機能がリアルタイムレコーディングのみでクォンタイズも当然なかった(演奏派ではなかったのでステップレコーディングが大本命だった)ものの、とにかくそれらしいフレーズが浮かんだら録音しまくった。

カセットテープに自作曲……とまでは到達していないイントロやサビだけのフレーズを滅茶苦茶録音しまくり、暇さえあれば聴きまくっていた。

そういう意味では、音楽趣味にもっともモチベーションが持てていた時期だったのかもしれなかった。

 

そんなこんなの経験を経て、次第に理解していく。

自分は楽器の演奏に快楽を感じるわけではなくて、たくさんの楽器を重ねて一つの楽曲を作り上げることにこそ快楽を感じるのだ。

演奏がうまくなりたいとか、人前でパフォーマンスしたいという衝動は湧いてこなかった。

もっといい機材がほしい。ひたすらいい音色が聴きたい。音を、フレーズを、ただ心地よく重ね合わせたい。

若者のバンドブームのさなかに、DTM宅録に意識が傾いていった。

 

長くなったので、再び次回へと続く。