- 今年に入ってCubaseとHALionを最新バージョンにアップデートしたのだが、調子づいてKOMPLETEもアップデートしてしまった。楽曲に使うためと言うよりは、単純に弄って遊ぶ用での衝動買い。CC12→15なので実質最後の機会ではあったが、しばらく待てば半額セールで入手できる可能性もあると考えると無駄な散財になったかも。しかもDMを誤読してNI公式で購入してしまい、無償でNeutron 4を入手できずという体たらく。かなしい。
- 小説執筆のスケジューリングのため次の公募先の目星を立てようとしているが、そう言えばKADOKAWA系列はランサムウェア被害から未だ復旧できていないことに気付く。そうでなくてもライトノベル業界の情勢が以前と変わってきているらしく、そのあたりをちっとも追えていなくて戸惑う(もう私の居場所ではなくなっているのかも?)。ひとまず電撃大賞かGA文庫大賞がこれまでのパターンだったのだが、富士見ファンタジア文庫のGirls Lineがやや気になっている。富士見ファンタジアとの相性は最悪だと自覚しているのだが、ジャンル的には一応合致する。ただカクヨム連載からのコンテスト投稿は未経験なのが不安材料だ。
- Pixel 9 Pro Foldの購入時に配布されたストアクレジットの使い道に悩む。使用期限はたったの1年。57,700円分となればPixel Buds Pro 2が買えるが、もうWF-1000XM5がある。タブレットもSoCの世代が旧いのと、新型が出たとしてもFoldと若干キャラが被る。ならPixel Watch 3でも買うしかなさそうだが、腕時計をしない生活スタイルの人間なのでメリットを感じない。このさき運動に目覚めて体力作りをするのもありかもしれないが。というかもしかしなくても今後の自分にとって重要なのか、運動??
- 自分はいわゆる就職氷河期世代にあたるのだが、なんとなく行動してなんとかなってきたおかげで、これまで無自覚に生きてこれた。ただ、いま得ている仕事を手放した瞬間、その属性に足もとを掬われ破滅するのでは……という恐怖心が今ごろになって己が内にぼんやりと立ち上がってきた。加齢を重ねて、あらゆる自分の構成要素が弱りはじめているからだろうか。親世代が徐々に去ってゆき、弱い自分を支えてくれる隣人も永遠に在るわけではない。そういう諸々のなかで「孤独に生きる能力」について学び経験する機会がないまま年齢を重ねてしまったのが自分という人間なのだろう。今後もなんとなく生きていく、からのステップアップが必要そうだ。
車遍歴:ルノー・トゥインゴ(ゼン/MT)5年目
今月は所有車3台の点検が連鎖してしまい、スープラに続いて今度はトゥインゴ3の2回目の車検である。
ディーラー的に当地域のルノーは実質日産そのものなので、信頼性が高いかどうかは明言できないがとりあえず整備を一任している。
ルノーは中古車でもメンテナンスパックに加入できる制度があるため、部品単価自体は高めだが面倒見は悪くない。
今回は5年目とはいえ特殊な交換部品もなく、ブレーキ回りは既に一新してしまったので、高額なのはバッテリーくらいか。それでも車格と購入価格から計算して割に合わないコストが吸い取られていく個体だが、この車特有の愉しさと引き換えであれば細かいことは気にならなくなった。
ゼンというグレードは今どき珍しく単純な構造をしているとは思うので、輸入車で壊れがちなトランスミッション系の不安材料もなく、エンジンが元気でいてくれれば末永く付き合っていきたい。
車遍歴:トヨタ・スープラ(DB06/RZ/MT)1.5年目
スープラの定期点検があったので記録しておく。
DBスープラは(BMW準拠のせいで)ディーラー側がメンテナンスパック対象外としている地域が多いらしく、こちらの最寄りディーラーでも毎回点検内容の見積書を出されてドック入りという流れを取っている。
今回は1.5年目の定期点検だったので交換部品はなし。オイル交換は輸入車特有の10000~15000kmサイクルみたいなので、年1回で問題なさそう。
で、車種的にトヨタ品質ではないので当初は身がまえていたものの、今のところ不具合らしい不具合は発生していない。
異常に入りづらいリバースギアも使い込んだら馴染んできたし、右寄りのペダルレイアウトもすぐに慣れた。シフトチェンジしようとしてエアコンパネルを殴りがちなのは相変わらずだが。
あとはUSBメモリーの熱暴走のせいでナビの地図データ更新に数回失敗しただとか、iMTの自動ブリッピングがたまに作動しなくてヒヤリとしただとか、低レベルなトラブルがあった程度だ。
そういえばリアハッチ開放時の水垂れ問題は当初気にしていなかったものの、これは樹脂パーツの劣化に繋がるかもしれないと最近気付いた。既に変色の兆候が見受けられる。
1.5年=18ヶ月目時点の総走行距離は3136kmで、2000km/年程度になる。
自分の通常の年間走行距離はおおざっぱに15000km/年くらいなので、これまでの所有車の中でも断トツの低走行車になる(その負担はトゥインゴと妻の日産オーラに割り振られているわけだが)。
趣味車としてちっとも堪能できていない側面もあるにはあるのだが、そもそもの購入動機が「絶滅危惧車の6気筒MTを確保・保存しよう」だったので、普段使いなどせずにちょい乗りを続け、あと20年くらいは温存しておきたいところである。
そんな感じでB58エンジンの痺れる調律をたまに堪能しては「なんでこんなしょうもないもののためにカネをドブに捨てたんだろうな……このカネで自宅のリフォームでもやっときゃ良かったな……」などと自己嫌悪に陥るムーブをやっている。
投稿ラノベ供養:『たとえこの世界が英雄《キミ》を認めなかったとしても、ずっと抱きしめていてあげる。』
前回記事から引き続きライトノベル新人賞に投稿した小説についての回顧録を続ける。
小説家になろう版:たとえこの世界が英雄《キミ》を認めなかったとしても、ずっと抱きしめていてあげる。
https://ncode.syosetu.com/n1867jk/
【あらすじ】
人類をシンギュラリティの向こう側へと導いた機械知性――〈ロータス〉。だがいつしか人類はロータスの力を恐れ、それを外宇宙へと捨てる旅に出た。
ロータスを乗せた星雲間航行船――通称〈殉教船団〉では、ロータスが生みだした十二基の〈魔剣〉を巡り、五大騎士家が勢力争いを続けていた。
みごと十二基の〈魔剣〉を手にした騎士こそが、ロータスを破壊し人類の悲願を果たす英雄となる。
五大騎士家で最多の〈魔剣〉を集めた英雄候補――二式スカラは、自分が英雄となる未来に希望をなくし、屋敷に閉じこもっていた。
役目を果たさない英雄候補に、不満を募らせていく船団社会。そんななか他の騎士家が巡らせた策謀により、反騎士家テロリスト・エッジワースの標的として二式家が選ばれてしまう。
迫りくるエッジワースの対騎士無人機に、単騎で苦戦するしかないスカラ。そんな彼を背に庇った謎の少女・月王寺アリルは、存在するはずのない十三番目の〈魔剣〉ID13を携えていた。
2019年執筆、ライトノベル新人賞向けの長編第8作目。
前作アイドリアクラウンと同じく、「粗製乱造」方針により生みだされた1作だった。
確かこの頃はこれとは別にすごく書きたいストックネタが1作あって、そっちが大本命なのだが公募の〆切が迫っており、とにかく何かでっち上げようと手癖で書き上げたのが本作だった。
まあ自分の場合、手癖で書き上げても成功するわけないのは何度も経験済みだったわけだが、この時は期日が迫る中でとにかく長編小説をでっち上げることがゴールラインだったので、好き勝手に書き殴ってとにかく完成させた覚えがある。
その結果、GA文庫大賞とMF文庫Jライトノベル新人賞で2次選考落選。
GA編集からは「設定が複雑なのは要改善」、MF編集に至っては「劇中で何が起こっているのかわからない」とかなり辛らつなお言葉をいただいた。
ただSF要素を前面に置いた作品で1次突破できたのは初めてだったので、ちょっと嬉しくもあり(だが電撃大賞でイケるかと思えば1次で跳ねられてしまった)。
† † †
そんなわけで、投稿ラノベ供養エントリは今回をもって終了とする。
主に自分のための記録を残す目的で書き連ねてきたけれど、色々思い出すことも多く、今からでも見直したい作業姿勢だとか、己の小説への向き合い方をアップデートする絶好の機会となり、恥を承知でアウトプットしてよかったと考えている。
先に挙げた本命ストックネタも結局SF系だったので「時流に合わない」「物語としての面白みが出し辛い」「俺はたぶんスベる」との自己判定により破棄する結果になった。
で、この次の9作目は自分にしてはレアな現代の学園恋愛モノ(人外要素アリ)を書いたのだが、こいつも精々2次落ちで見事スベってしまった。ただこいつは改稿予定がなくはない関係でWebには上げない予定なので、あえて触れないことにする。
さて、次なる10作目に手を付けてからかれこれ3年近く浪費しているが、それはまた別の機会に記録しておこうかと思う。
最近の出来事:2024年9月
- メインPCのDell Inspiron27 7775が5年保証も切れて随分経ってしまったので、リプレース機としてAtomMan G7ptを購入した。こいつはゲーミングPC枠なので外見ゲーミング仕様なのが好みではないのだが、CPUにRyzen 9 7945HXを積んでいるのとメモリー&ストレージ面で不自由しなさそうなスペックなのにそもそもミニPCなので省スペースで静音性もそこそこという点が決め手となった。とりあえずM.2の空きスロットにWDの4TB SSDを増設(さすがに5.0製品は非現実的すぎてスルー)。ゲームはほとんどやらない生活スタイルに変わってしまったので、DTM用途での活躍を期待している。
- 亡父の四十九日法要を終えた。母に代わり喪主を務めていた手前、諸々の場面で代表者役として行動せざるを得なかったのだが、ここで下の兄弟たちとの家庭環境的な格差(経験値不足・知識量不足)をひしひしと思い知らされ、軽く凹むなどした。これからも母のことだとか相続関係ほか諸々の手続きが残っているので、当面は平穏な生活が送れなさそうだ。
- 近年、仕事柄もあってひどい眼精疲労に悩ませられていたのだが、ここのところ何を見るにも目の焦点が合わなくなってきて、自分も老眼になったのだと認めざるを得なくなった。小説を読むのが苦痛で内容が頭に入ってこない、ゲーム画面を視認していられずリアルタイムで何が起きているのか把握できない、夜間視力の悪化を感じ車の運転がより慎重になる、などなど自分の生活を根底から覆してくれる最悪の症状だ。とは言え老化から逃れられるものではないので、これからうまく付き合っていくしかなさそう。
- 自由時間の配分を考えれば、このままゲームは引退してしまっても支障ないだろう(ならPS5は売却してしまおうか……)。
- 元々小説自体の読破数も1~2冊/年程度と激少だったのだが(そんなんでよくライトノベル新人賞投稿活動をしているな的な.……)、ここのところ小説自体を全く読まなく/読めなくなってきていて。理由は体力的且つ思考的な負担が大きすぎるからなのだが、コンテンツ文化の多様化により活字媒体に食指が動きづらくなっているアレとか、コンテンツ消費のスピードとコスパ話のアレだとかが自分にも訪れていることを実は今さら自覚したりした。小説をもたもたしながら読んでる時間を他に割きたくなっていたのか、自分。
- 新作である10作目の長編小説(百合異世界転移もの)について、基礎となる部分が曖昧だったせいでプロット未完成状態が続いていたのだが、ここ最近ブレイクスルーがあり、だいぶ光が見えてきた。来年の電撃大賞に間に合えば理想だが、中途半端なまま本文を書き出して低次落ちするパターンも予測できるので悩ましい。
- そう言えば以前書いたSNS飽きた話の続きで、唯一残してあるBlueskyもアカウントを消してしまおうかと考えている。SNSが無いなら無いで寂しい――というよりはスキマ時間を持てあましそうな気がしている。が、その時間を創作ないしコンテンツ消費にでも割いてやった方が効率的な感もあり。
投稿ラノベ供養:『輝けりアイドリア・クラウン ~魔王様がわたし達のプロデューサーです!』
前回記事から引き続きライトノベル新人賞に投稿した小説についての回顧録を続ける。
小説家になろう版:輝けりアイドリア・クラウン ~魔王様がわたし達のプロデューサーです!
https://ncode.syosetu.com/n8264jh/
【あらすじ】
勇者が敗れた後の世界に訪れたのは、復活した暗黒神の摂理に支配される時代だった。
国家を代表するアイドル同士による代理戦争〈アイドリア・クラウン〉。
その底辺プロデューサーとして復活した魔王ナラクデウスは、領主の呪縛を受けた王級吸血鬼ミューゼタニアを解放すべく、彼女とともにアイドリア・クラウンのステージへと挑むが――――。
2018年執筆の長編7作目。
前作キズナヴラッドが電撃大賞であっけなく1次選考落選してしまい、そろそろ公募活動の止め時かなと悟り始めたころのことだった。
以前も記事で触れたような気がするが、私は端っからプロ作家を目指してはいない。ライトノベル新人賞投稿活動とは、あくまで趣味の範ちゅうとの理解でこの世界に身を投じてきた。己の物語創作趣味を満たしてくれるステージが同人界やWeb連載ではなかった、というだけのシンプルなスタンスだった。
これまで6作も書いて大した結果が得られていないくせに、不思議とモチベーションを失ってもいなかった。なのでSNSでは作家志望者とかラノベワナビを名乗ることを避け、それでは何なんだという疑問もあったので「ライトノベル新人賞投稿者」と自称していた。
さて、長編小説を6作書き終えた果てに振り返ってみれば、自分が生みだしてきた物語はどれも根底で似た傾向のものばかりと気付いた(そいつをここで言語化する意味はないので省くとして)。
その境地に至って私は何をトチ狂ったのか、めっちゃ肩の力を抜いて粗製乱造に突っ走ってみるのも我がスタンス的にイイネなどと思い立ってしまった。いっそのこと拘りを捨てて「ライトノベル」に向き合ってみれば、何かしら得られるモノがあるのかも精神である(何せ創作に対する〝自己〟が希薄な性分なので)。
で、次の7作目では異世界ファンタジーでアイドルものをやってみたら受けるのでは。どうせなら魔王勇者ものにして、魔王がプロデューサーで……。
そんな感じでこの業界にありがちな流行キーワード組み合わせネタで、6作目からそれほど期間を開けずに7作目を書き上げることに成功してしまった。
選考結果は、自分が想定していたよりはネタが滑ってしまった、といった印象だった。
一応は2次選考までは到達していた。そこで編集部からいくつか反応をいただいたが、まあ概ね「アイドルものをやるからには(なんかストーリーらしきものがあるみたいだけど…)アイドルをちゃんと書きましょう」「ヒロインをかわいく書きましょう」的な評価だった。
この「(なんかストーリーらしきものがあるみたいだけど…)」が個人的にぶっ刺さったわけで。自分が良かれと思って仕上げたストーリーラインがそもそもこれ系作品では読者にとってのノイズでしかなく、期待されるアイドル=ヒロインたちのアイドルたる魅力にちっとも読者を誘導できていません、という当たり前すぎる指摘に聞こえ耳が痛かった。
結局、流行ものの要素を自分流にキャッチアップする能力が全然足りていないことを思い知らされた1作になった。その意味ではそれなりの経験値が得られたのだろう。
一方で7作目を書いていた時期あたりから、ライトノベル業界の雰囲気が変わりはじめていたような気がする。自分が想像していたものとは異なる方向に。
正確な時期ではない気がするが、2010年代後半にはライトノベル業界とWeb小説業界の境界がかなり曖昧になってきていて、ライトノベルの主流=後者に移行しつつあるのではという空気を感じていた。意味通りの世代交代とは異なる世代交代が進んでいる現実をようやく自分も認識し始めていた。
SNSのフォローイング界隈でも、Web側読者の嗜好に自らを最適化させることで、途方もないインプレッションを得られてる人たちを見かけた。単に「なろう文体」だとか長文タイトルだけの話ではないのだろう。自分には真似できないなと途方に暮れた記憶がある。
そういう空気を感じつつ、思いつきではじめた粗製乱造スタイルも有耶無耶になって、次に何を書きたいのか、何を書くべきなのかわからなくなってしまった。
そんなはっきりしない心境のまま、8作目のネタの模索が始まった。
投稿ラノベ供養:『キズナヴラッド 七番プラットフォームの異世界交渉士』
前回記事から引き続きライトノベル新人賞に投稿した小説についての回顧録を続ける。
小説家になろう版:キズナヴラッド 七番プラットフォームの異世界交渉士
https://ncode.syosetu.com/n2128jh/
【あらすじ】
多元宇宙から電力を取り出す相転移炉の副産物として、異世界から多種多様な者達が転生してくるようになった洋上実験都市マルクトル。
そこで身寄りのない異世界転生者を保護する〈異世界交渉士〉見習いのタクトは、刺客に追われていた〈ヴラッドアリス〉ラキエスの奇妙な力で、彼女が想い描く騎士そのものと化して見事敵を退ける。
かつて予言の姫巫女だったラキエスが人生を捨ててまで転生したその目的とは、未来視で見た騎士タクトを従え、そして異世界を越えてでも未来に生き延びること。
タクトは協力関係の約束と引き換えにラキエスという強烈なパートナーを得て、小さな許嫁・沙夜とも衝突しつつ、異色の交渉士としてマルクトルで活躍していくが――。
2018年執筆の長編6作目。ジャンル的には異能バトルもの……に該当するのだろうか。
前作フューチャーガールズ・テレサットの大ゴケに相当ダメージを受けていたため、気分転換で異世界転生ものでも書いてみようかと思い立ち、何だかんだ悩んで異世界人が現実世界側にやって来る逆異世界転移ものに落ちついたという経緯だったような。
思い返せば、こいつは自分の中でも二転三転あったいわく付きの作品だった。
まず最初のバージョンを電撃大賞に投稿して1次選考落選。翌年、同じものを他のレーベルでも投稿した記憶があるが、良くて2次選考落選。本作はもうダメだなと諦めが付き、次の新作に頭を切り替えた。
数年後、無改稿の同じ原稿を電撃大賞に(他の本命作品のついでで)投稿してみたところ、何故か2次選考を通過し3次選考まで到達してしまった。結局は3次落ちなわけだが、電撃大賞で初めての成績だったのでかなりテンションが上がった覚えがある。
これに気を良くして大幅改稿バージョンを再び電撃大賞に投稿したところ、今度は2次選考落選。
何故だ……人生とは……と困惑したが、まあこの業界ではよくあるパターンらしい。下読みや編集者のめぐり合わせもあったし、改稿で弄くりすぎて悪化するのも起きがちな失敗だった。
編集部からいくつか反応をいただいたが、まあ概ね「設定が渋滞を引き起こしているね」的な評価だった。
今同じものを書くならもう少し整理して軸のはっきりした物語に仕上げられる自信はあるが、こいつもネタの旬が過ぎた感しかなく、ここに供養することにした。
そういえばこの6作目を書き終えたあたりから、ぼちぼち小説に自分の人生を割くことに飽きはじめていた。これは書くことだけならまだしも、小説を読む方に関しても同様なので深刻だった。
職場でのポジションがそれなりにデカくなってきたのがこの頃だったか。自分の年齢的な要素もある。
創作に情熱を注げなくなった言い訳に多忙や加齢を上げるのもあまりにベタな展開すぎてないなと思う。
だが、時間と精神的余裕を失った見返りに生活的な余裕が得られれば、即物的な消費に向かいがちなのはその通りで、自分はそれに今でも抗い続けている。